ワールド チョコレート マスターズ日本代表
CALVA 田中二朗シェフにインタビュー【World Chocolate Masters ’22】
2021年8月-チョコレートの世界大会『ワールド チョコレート マスターズ 21/22 日本国内予選大会 』にて日本代表選手の座を獲得したCALVA(神奈川県鎌倉)の田中二朗シェフ(以下、田中シェフ)。
審査員の和泉光一シェフ(アステリスク)を筆頭に、歴代のワールドチョコレートマスターズ出場者が「次元が違うところにいた」「優勝を目指せるのは二朗しかいない」と絶賛する田中シェフとはどんな思想の持ち主なのでしょうか。
本記事では、田中シェフがパティシエの道を選び、どのようにお菓子と向き合ってきたのか、シェフの考えを紹介したいと思います。
パティシエになろうと思ったきっかけ
高校まで、野球一筋で練習を重ねていた田中シェフ。しかし、思わぬアクシデントでその夢が閉ざされてしまい、それまでずっと目指していた目標が突如失われました。その喪失感を紛らわすため、夜遅くまで遊ぶことが増えたそうです。
そんなある日、深夜1時を過ぎた頃に住居兼店舗のご自宅へ帰ると、当時鎌倉で洋菓子店を営んでいた父親が1階の厨房で一人仕事に打ち込む姿を見ることに。翌朝田中シェフは母親に、夜中に父親が仕事をしていたことを尋ねると、ウェディングケーキの予約が入って準備をしていたと、それがさも当たり前のように話されたそうです。
「当時17歳の私は、それまで見えていなかった父の仕事への姿勢を目の当たりにし、衝撃を受けたんです。自分がこれまで何不自由なく過ごしてこられたのは、こうした両親の働き方の上に成り立っていたことに気付いた瞬間でした。」(田中シェフ)
そんなご両親の姿に触発され、いつしかパティシエを目指すようになったそうです。
27歳での渡仏。そこで得た気づき
当時、東京プリンスホテル勤務時代の先輩であり、最も尊敬する先輩の一人である川村英樹氏の誘いを受け「パティスリーアテスウェイ」のオープニングスタッフとして働くことになった田中シェフ。
「私はヴィエノワズリーを担当し、毎日ファーブルトンを焼きながら、今後独立するならフランス菓子をやりたいと思い描いていました。その時、本場フランスのファーブルトンやクロワッサンを見たり食べたことが無いな…と思い、自分が独立する前にこれまで自分のやってきたことが合っているのか確認したいと、渡仏することを決めました。それが27歳の時です。」(田中シェフ)
働く場所は決めずフランスに行き、最初は、1か月だけ働かないかと誘われた街中の小さなお店で働いた田中シェフ。言葉が通じない中でも、フォンサージュや折り込みなどやることは変わらないので十分仕事はできたそうです。
その後田中シェフは、自分が働きたいお店を探そうとノルマンディーを旅し、「パティスリーショコラトリー ジュリアン」というお店に出会います。
エクレアピスターシュやタルトポム、アップルパイなどを食べ、どこよりも美味しいと感じたシェフは、働かせてほしいと頼みましたが、外国人は雇わないと断られました。しかし諦めきれず、3度目に手紙を書いてお願いに行ったとき、ようやく話を聞いてもらうことができ、働かせてもらえることになりました。
最初は雑用から始まり、徐々に実力を認められ、お店の中でもシェフしか作っていなかった30~40種類のマカロンを任せてもらえるようにまでなったそうです。 そうしてお店で働く中で感じたことについて、田中シェフはこう語ります。
「複雑なことは何もしていない。めちゃくちゃシンプル。でも食べるとうまい!それって何なのか…と思ったときにシェフが教えてくれたのはパーツを大切に作ること。そして美味しいバランスで作ること。という極めてシンプルなものだった。それが、渡仏したことで得た大きな気づきでした。この考えは今でも自分がお菓子を作るときに大切にしていることです。」(田中シェフ)
パティシエとしての在り方を考える
フランスから日本へ戻り、30歳になってから目標であった自分の店を持つことができた田中シェフ。
当時は、東京スイーツコレクションやコンクールなどで忙しい日々を送っていました。 そんな中、パティシエとしての在り方を見つめなおす2つの出来事があったと田中シェフはゆっくりと話し始めました。
「偶然にも友人が亡くなる最後に食べたのが、私が作った焼菓子だったと友人の旦那さんからお礼の電話を受けて知りました。それまでは、人がお菓子を食べるときはお祝いであったりプレゼントなどの楽しい時間の中で私の作ったお菓子を食べていただくというイメージだったので、ただ「美味しいものを作りたい」という想いでした。この出来事をきっかけに、私の知らないところで、自分の作ったお菓子が誰かの人生最後の一口になるかもしれない、ということに気づかされました。そこから、「常に美味しいお菓子を作り続けなきゃダメなんだ。」という考えに変わりました。」(田中シェフ)
二つ目は、2019年関東を襲った台風で被災地での出来事。当時、被災地を元気づけたいと、救援物資や自分の作ったお菓子を送り、とても喜んで頂いたそうです。 その時は、とてもいいことができたと思っていたんです。
でもその半年後に、実は被災者の中に健康上の理由で私の作ったお菓子を食べることができない人がいたと知りました。
「必要な人に必要なものを届けられなかったことに、『自分はいったい何をやってたんだ』と、深く考えさせられた」(田中シェフ)
ワールド チョコレート マスターズの表彰台から世界を巻き込むメッセージを伝えたい
「このままじゃだめだと思っている中でワールド チョコレート マスターズの大会テーマが【#TMRW_TASTES_LOOKS_FEELS_LIKE (#TMRW (明日)のテイスト、ビジュアル、感覚)】と聞いて、これだ!と思いました。結局、私が小さな町場の洋菓子店のシェフとして、メッセージを訴えても共感してもらえるのは私のファンだけ。でも、ワールド チョコレート マスターズの優勝者として表彰台から訴えるのは違う。世界へ向けて伝えられるし、いろんな人が共感してくれると思う。」(田中シェフ)
効果を最大限に広げるために一番大事なのは「誰が、どこで言うか」。
その舞台として選んだのがワールド チョコレート マスターズの表彰台だと熱い眼差しで田中シェフは語ります。
これまで田中シェフは、マジョリティの美味しいものを中心に考えることが多かったそうですが、過去に経験した2つの出来事から健康上の理由で食べられるものが限られるマイノリティの立場から美味しいものを考えたとき、それが一般化しないのは味よりも機能性が重視されているからじゃないかと考えました。
「美味しければ、カテゴリーで分ける必要は無いし、マイノリティがマジョリティの一部になる。これからは、どうマイノリティの人たちをマジョリティの一部にしていくか。どのようにして1人でも笑顔にしていくか。一人一人に寄り添った美味しさが求められると思う」とワールド チョコレート マスターズの表彰台の先にある実現したい目標を思い浮かべながら田中シェフとのインタビューは終わりました。
「TOMORROW=明日」がテーマのワールド チョコレート マスターズまで、あと1か月と少し。 これから大会までに重ねられる今日が、どのような明日につながるのか。
日本代表の田中シェフをはじめ世界各国のシェフたちは、何を想いどんな明日を見せてくれるのでしょうか。
▼田中 二朗シェフ プロフィール ———————–
パティスリーカルヴァ・ショコラトリー カルヴァ オーナーシェフ
1979 年、神奈川県生まれ。
1998年に東京プリンスホテル勤務後、2001年川村英樹氏に誘われ吉祥寺「パティスリーアテスウェイ」にオープニングスタッフとして5年半勤務。
2007年渡仏し、パリ郊外ヴォークレッソンで 修行を始めその後ノルマンディー地方ルーアンにあるPatisserie chocolaterie JULIEN 「パティスリーショコラトリージュリアン」にて初の外国人スタッフとしてシェフジュリアン氏に認められる。
2009 年 地元大船に「Patisserie CALVA」を、2017 年北鎌倉に「Chocolaterie CALVA 北鎌倉 門前」をオープン。
Instagram:
@jirotanakacalva
@calva.official
@chocolateriecalva